そば店が 一つの独立した営業の姿をみせてきたのは 江戸中期・寛延年間(1748~1751)あたりからで これと併行して仕事の持ち場・職制がはっきりしてきました
「板前」から「釜前」「中台」「花番」「外番(出前)」と 分業化が進んでいきました
この他に 補助的な役目も行う「脇釜」「脇中」「まごつき」などの 持ち場も出てきました
そば打ちの職
そば職人の中でも 最高の技術が要求される立場です
機械打ちになってからは「運転」ともいいます
釜の前にいてそばを茹でたり もりそばを盛ったりする人
「中台」の言う通りにそばを振ります
もちろん中台を待たせたりはしません
江戸時代からそば職人の中でも最上位にありました
「釜前」と「中台」は仕事上の夫婦の形で 双方の呼吸が合わないと調理場全体がうまくいきません
釜の火加減をみる専門の職の人をいいます
種物を作ったり 天ぷらを揚げたり 汁の加減をみたりする 調理場の中の重要な役目の人です
「花番」が通すいろいろな注文を 手際よくさばく技術が 要求されます
また中台の脇にいて 汁かけなどの手伝いをやる役を「脇中」といいます
出前持ちの事で お客様の注文を届ける人
江戸時代では「かつぎ」といいました
また そばを打つかたわら出前をやる役を「運転助番」ともいいます
お客様の注文を奥に通したり できたそばを運ぶ役の人
調理場へお客様の注文を通す 独特の「通し言葉」をいうのも花番の仕事です
調理場の仕事がよくわからない 新入りの者を指します
主に雑用係で 薬味つけ汁入れなどが主な仕事です